いつもブログを見てくださってありがとうございます。
PONです。
今日はどうしても許せないことや理解できない人間関係を受け入れたり理解を深めるという行動よりももっと大切なことについて記事にしていきたいと思いますので最後まで読んでいただければ幸いです。
目次
自分の全てを受け入れること

人間は平等であるべきだ
人間は皆平等であるという言葉は僕は嘘だと思います。
小さい頃からいじめられて育った人
小さい頃からろくに親の愛情を受けて育ってない人
顔がいい人は恋愛においては有利
家庭環境が裕福な人は小さい頃から沢山の経験をさせてもらっている
薄々おとなになるにつれて受け入れざる負えないことに気づいている人も多いとは思いますがこれでもまだまだ氷山の一角で不平等なことなんていくらでもあるはずです。
不平等なこともいかに上手に受け入れて生きていくかが大切
不平等さを嘆いて病むよりも不平等さを受け入れて生きていける人がこれからは強いということです。
もちろん病んでしまうことが悪いことだなんて微塵も言っていません。
病んでしまうことはこんなことが原因だったりします

・人と比べてしまって劣等感に駆られる
・誰かに言われたことが処理できずにトラウマになっている
・思うように結果が出せない
同じような努力をしても同じ時間で結果が出せない人だっています
トラウマになるようなことを言った人は当然許せません。僕も小さな頃から何故か年上の人に遊びに誘われて僕だけお菓子をもらえなかったりデブと批判されたり友達何人かで遊びに行ったときに何故か僕だけは家に入れてもらえなかったりと随分今考えれば理不尽だしつらい思いをしたことがあります。
今思い出してもとても悲しいですが辛い現実ですがやった本人たちはそれほど覚えてないだろうしそんな人に思いを馳せていても時間の無駄なこともまた事実です。それならばきっぱりと過去だと割り切って「かわいそうな人」だと思って未来の幸せにしっかりと目をむけるべきです。
自分が幸せを望めば未来はここからでも幸せに近づいていくことだけは確実です。
自分の得意とするところで勝負する

生々しい表現かもしれませんが、例えば営業が苦手な人が営業を一生懸命覚える努力よりも事務仕事が得意であれば事務仕事でできることをたくさん覚えて幅を広げていくほうがためになります。
日本の会社では割と苦手なことほどやってみる。「なによりも経験」
みたいな言葉が美徳とされていることがありますが僕はこの考えが嫌いです。苦手な土俵で努力をして精神を病むほうが辛いからです。
やりたいことで沢山経験を積んでみることで「なによりも経験」という言葉を使うべきです。
そういう意味では人生なんてせいぜい長くて100年なんですから自分がやりたくないことでもがくよりも楽しいことで満たす努力なら一生懸命するべきかなとは思います。
人と同じということが好まれる大衆の中で生きていると自分が大切にしている価値観や好きなものまで見失ってしまうことがあります。
そういった言葉に惑わされないためにもちょっと人と違った変わったものが好きな自分や過去に批判されたところなどもひっくるめて自分のことを受け入れてあげることがこれからは大切です。
さいごに
現在僕も会社員をしていて毎日様々な言葉が飛び交い励まされたりときには傷ついたりします。そんなときに助けてくれる人もいれば追い打ちをかけてくる人もいます。
そんな中で何より一番の助けになるのが自分でもあります。
人の意見や言葉に惑わされずに日頃から自分のすべてを受け入れているとちょっとした心無い言葉にも心を病むことも少なくなると思います。
そう思えたきっかけになった本を最後に何冊か紹介しておきますのでぜひ読んでみてください。