いつもnoteを見てくださってありがとうございます。
PONと申します。
今日は「自分を出す」「個性の部分を人に出す」といったことについて記事にしていきたいと思います。
目次
本当の自分とはなにか

僕の紹介からするとこんなかんじ
・おとなになってもゲームやおもちゃなどが大好き
・おしゃべりが大好き
・人に笑ってもらうのが大好き
・好奇心旺盛で何事もやってみたくなる
誰にでも子供の頃から変わらないこういった好きなものや大人になるにつれて徐々に培われていった大切なものが必ずあります。
ではなぜそういった本当は大好きで大好きで仕方ないことや本当の性格を偽って生きてしまうのでしょうか?
聞かなくても良い声に耳を貸してしまった

「ちゃんとしなさい」「大人な対応をしてください」「真面目になりなさい」などその言葉だけにフォーカスするととてもきつい言葉です。
そういった場所で頑張ってる人をけなすわけでは決して有りませんが、厳しい体育会系で育った人があまりにもその現役時代に人格矯正がきつすぎて遅くに自分の頭で考える社会に飛び出したときになにも考えれずに鬱になったり、自己破産してしまうといったことを聞いたりします。
そもそもなにを持って「ちゃんとする」のだろうか?それは誰の目線で持って「ちゃんとする」のだろうか?
私の人生においてこれが「ちゃんとする」であっても違う2人から見たときにそれは「ちゃんとしていない」かもしれないのです。
「社会人としての常識」という言葉をよく使う人がいますが私はその言葉があまり好きではありません。
そうやって大きな重圧で押さえつけて押さえつけてふわっとした集団の常識的なものにだんだんと抑えられていって、結局思考停止人間になってしまうのです。
昔だれでもゲームがしたければゲームをして友だちと遊びたければ友達と遊んだはずです。断られるかもしれないが「遊ぼう」と声をかけたはずです。

力を貸してほしければお願いをする。大きくなるにつれて理性は当然のようについてくる。理性だけならいいがそれと並行してそういった「聞かなくても良い声」も同時に脳に取り込んでしまう。
整理整頓に全力で取り組んで見る

整理整頓と言ってもものだけでは有りません。
自分の頭でゆっくりと考えてみて今あなたの周りにいる人は実はあなたを攻撃していたりしませんか?一緒にいても実はあまり落ち着かないんだ、って人がいたりしませんか?
会社の関係でいやいや付き合っている交流会などもその一つです。
そもそもなぜ社会で働いていますか?
お金を稼ぐためだけでしたか?
自分の生活をより良くするための一つの手段だったはずです。
じっくりと考えたらそういった自分にとって今後必要ない集まりや人間関係は自ずと答えが出てくるはずです。
ぜひまだまだ今年も始まったばかりです。
じっくりと自分と向き合ってみてください。