今日は情けないほどの陰キャラである僕が人とのコミュニケーションを恐れなくなった話をしようと思います。
目次
- まずは今までの自己紹介から
- 社会というあまりにも過酷すぎる閉鎖空間の中で人が間違った教育をされて無能の出来上がり
- コミュニケーションの下りだけ見たい人はここから
- 陰キャラには強みがあることに気づく
- 陰キャラといえば足らないものがだいたい一緒だった
- 読書やYoutubeを通じて明確に恐れないコミュニケーションを身につけた
- さいごに
まずは今までの自己紹介から
小さな頃から特にスポーツが得意というわけでもなく、学校終わりや土日の楽しみはというと、弟や友達とする遊戯王カードや、ポケモン、ドラゴンクエスト、ニンテンドー64などのゲーム機で遊ぶことが大好きな絵に書いたようなインドアでした。
正確にはスポーツが大好きな友達にあまり恵まれなかったんだと思います。
全然乗り気ではないサッカーのクラブに入団してしまって日曜日のクラブの時間になると朝はお腹痛いって言って休んでてわけわからんことになってたし。
スポーツやってない友達は土日に楽しくポケモンのレベル上げやってんのに何俺はシケた面で球けってんだよーって思ってたなぁ。
中学校自体は楽しかったけど今「何が楽しかったのか」と言われると正直ふわっとした楽しかった思い出程度にしか思えてないのが事実。
人生で本気で楽しいと思い出しのはやっぱり高校から
僕のふるさとは地方でもかなりの田舎なので中学校くらいまでは正直ほとんど同じ顔ぶれとしか関わりがないから新しい刺激っていうものはなかった。
高校になって刺激が訪れたのはこの2つ
・実家にパソコンがやってきた
・同じ生き方をしてきたインドアの友達ができる
思えばここで好きなこと、同じ感性を持つ人と関わっていくことだけに力を使っていけばもっと人生イージーだったと思います。
当時、ニコニコ動画が初回会員制が開放されて見れるようになったことで毎日様々な動画をネタに友達と話に花を咲かせることが楽しすぎた。
それと本当にありがたかったのは、その刺激のまま友達と動画を投稿する側も経験したりして。
そして何より現在でも良かったと思っているのは、パソコンへのアレルギーがない状態で成人を迎えることができたからだ。
現在では同じくらいの年齢の人でもパソコンを使ったことがない人が周りにはいますが、正直ぞっとしてしまう。
パソコンにふれたこととそういったどちらかというとインドアに通ずる環境が現在の僕を作っているので、過去の僕には「偉いぞ」といってやりたい。
さて多少ぶれたりもしましたがこれがまず僕という陰キャラの自己紹介です。
社会というあまりにも過酷すぎる閉鎖空間の中で人が間違った教育をされて無能の出来上がり
・人に迷惑をかけない
・言われたことをする
・真似と作業の違いを教育者が知らない
少なく見積もっても僕が働いている会社でもこのようなことを思っている人というのはたくさんいます。
こんな人の行末はだいたいこんな感じ
・ストレスを給与で補う毎日。会社やめてわかるレベル0状態
・休日の過ごし方すらわからない。
・何をしたらいいか自分でわからない。
理由は簡単で
ミスから人は同じ過ちをおかさないという学習をしたり、理想の人を追いかけることでその理想に近づく過程で自分が磨かれたりします。
おかしいですね。社会人というのはよく見ればそういった人としての自立をすべて剥ぎ取ってしまうような教育ですね。
そして自分で考えることを失ってしまう無能になってしまいます。
無能であることは悪くありません。問題は無能であることに気づかずにその大切な一日を失っていくことです。
僕は遅いほうかもしれませんがその違和感に気づくことができたおかげで小さなことも自分で考えて行動し、生活、仕事ともに充実させることができたと思っています。
コミュニケーションの下りだけ見たい人はここから
せっかくなので上から見てほしいな
陰キャラには強みがあることに気づく
パソコンが入ったときくらいから僕は知らない間に多くのことを「調べる」ということが見についていました。
そんなこと当たり前だと高校生くらいから思っていた「ぐぐる」ということがまさか自分の先輩に当たるような人でもちゃんとできてないことを知りました。
そしてそれをしない「無知は搾取される」をしったからです。
陽キャラにはその人当たりの良さやイケメン度合いはまず勝てません。
しかし様々な教養はやはり陰キャラと呼ばれる人のほうが多いと思います。
家でぐぐりまくってますからね。ゲーム一つにしても勝つためには知識を得ないといけません。
お得意の「ぐぐる」から調べたり、身の回りの陽キャラと呼ばれる人を思い浮かべると思わぬ共通点が出てきました。
器用貧乏なコミュニケーションをする人が多い
良くしてくれているけどあまり好きじゃない先輩に顔を出す
結婚式にはすべて参加
暇なら片っ端から開いている人を探してみる
そしてそういった数々のコミュニケーションを通じてかならず
「めんどくさい人」にぶち当たってしまい、結果的にあまり生活が上手く行ってない人が多いことに気が付きました。
ここで感の良い人はもうお気づきかもしれませんが、気が合わない、尊敬できないなどの気持ちがあるのではあれば率先して嫌われる努力をする必要はないが、また好かれる努力をする必要もないです。
どうせなら話していても気持ちが高まらない人としゃべるよりも自分が得意とすることや知識の共有ができるような人を少なくても大切にすることに力を使えば良いです。
そして相手に好かれるかどうかという一生悩んでも100%の正解がでないことに悩むよりは自分の感性を出しまくってそれにアレルギーを示す人はきっと小さな関わりがあっても長い付き合いにはならないし、小さなことでもより感性が合う人であれば長い付き合いになるでしょう。
日本では変わり者を嫌うフシがありますが、変化を加えるのはいつも「変わり者」ですし僕は変わり者はとにかく面白いので僕は変わり者でありたいです。
陰キャラといえば足らないものがだいたい一緒だった
・コミュ力
・清潔感
・包容力
しかしこれが足らないのかと早期に気づいてそれを補うことも現代であれば用意になっていきました。なぜなら現代では「イケメンたちが清潔感やおしゃれをYoutubeやブログで無料で投稿してくれているからそれを見て丸パクれば陰キャラもあら不思議、雰囲気イケメンくらいにならなれるんです。
僕の数少ない女友達にとても深いことを言われたことを覚えています。
「ロクに人前でしゃべる勇気がないから私は勇気がほしいときに、石原さとみをインストールし石原さとみになる」
人はパクってパクってパクリ倒すことで限りになく理想に近づけるという事実を言葉にした名言だと思います。
包容力は少ない現代社会で学べた賜物だと思っていて、基本的には人のせいにばかりされたり、毎日ゴミみたいな扱いを受けて気が狂ってくる毎日の中でも必ず1人くらいはこういう”無償の愛”を与えてくれる人に巡り会います。
どうせなら数少ない”優しさを人に与えれる人”になりたいなと思えたのはこういった社会の中で生きる貴重なギバーに出会えたことです。
読書やYoutubeを通じて明確に恐れないコミュニケーションを身につけた
ここでは3つの本を紹介します。
この本では3つの人格について紹介されています。
与えるギバー
搾取するテイカー
与え搾取するマッチャー
成功者には圧倒的にギバーが多い
しかしそれに付随して毎日生活が上手く行っていない人の多くにもギバーが多いという事実
それについて実際どういったギバーになることがより良い成功に導けるのかといったような過去に僕は読んだことがない本で衝撃を受けました。
この本で今日の記事のタイトルにもある恐れないコミュニケーションができるようになった本のひとつです。
アドラー心理学の本で内容に関しては会話のような書き方で書かれていますので非常にスラスラと読めます。
嫌われることに目を向けないことがこれほどにも現代で必須スキルだということがたったの1200円くらいの金額で買えるのは今でも意味不明です。
僕的には2万円くらいしてもおかしくないんじゃないかと思う。
本って絶対コスパ抜群なのは間違いない。
小学生の必須読本に入れたほうが良いとすら愛読している本
エッセンシャル=より少なく、しかしより良くという少数精鋭の考え
非エッセンシャル=全くプランやこだわりのない整わない思考
今回のコミュニケーション一つとっても思うことが
・自分にとって頑張れることはなにか
・頑張らずにやめることはなにか
こういったじぶんにとっての行動一つとってもじっくりと計画してその物事に全力投球できる状態がエッセンシャル思考だと思っていて、
頑張ることを多く育てようとすることは今までにありましたが、この本では「いかに自分がやらないことを明確化」という引き算の美学が詰まった貴重な本だと思っています。
さいごに
僕の記事の中でも2000文字を大きく超える長文になりましたが最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
今日紹介した内容は本当に自分の人生を通じて変化した内容なので全くスペシャルテクニックが必要なものでもなければ、僕のようなコミュ障のような人間でもできたことです。
大切なことは「変わろう」と思う自分の姿勢であることは間違いありません。
小さなブログですが、そんなきっかけになればと思います。